20180825

晴れ。ギャンブル依存症って病気(?)があるけど、結果的に借金してる人は依存症で、儲かってる人にはそのような病名(?)がついてないような気がする。天気の良い午前に考えることでもないな。最近はスポーツ界でパワハラが流行っている。(というか、視聴者が食いつくので、テレビや新聞が騒ぎ立てて多いだけに見えているだけの、いつもの仕組みかも知れないけど。)体操女子にもパワハラで処分されたコーチがいる。第三者からの告発で体操協会が処分した形だ。でも、今回は被害者とされる女子体操選手が「私はパワハラと思ってません。」って声明文を出している。コーチも「叩いたり、髪引っ張ったりしたけど、最近はしてません。怒りに任せたものではなく、指導です。」って言ってる。ニュース番組に出ていた元体操選手の池谷幸雄が「体操は危険なスポーツだから、指導として必要な場合もある。僕の時代はぼこぼこにされてましたけどね。」とコメントしてた。違和感を感じるのは、「昔はよかったけど、今はダメ。時代だから。」みたいな雰囲気があるとこだ。昔の人は殴られたり、叩かれたりしても痛くないとでもいうような感じだ。ニュース番組に出ている、そういう昔をくぐってきた人は、それに耐えれた人だ。だから、笑いながらコメントする。だけど、その当時にだって今でいうパワハラを受けて、意気消沈した人もいるだろうし、自殺を考えた人もいるだろう。そういう人は、もう関わりたくないからテレビになんて出ない。今回のことも、コーチも選手もパワハラじゃなく指導だと言っているけど、暴力でないと教えられないことがあるのだろうか。それは効率がよくて、手っ取り早いからそうしてるだけなんじゃないのか。「身体にすごいう副作用が出るかも知れないけど、記録が飛躍的に伸びるから、この薬を飲むんだ。そう、ドーピングだよ。」って言ってるような感じもする。そこトレーニングで何とかしようよ。それに殴ったりすることが本当に必要なら、「暴力学」のようなものが発展してもよいような気がする。誰もが悪いとわかっているのに場合によっては肯定する。それに今回のはたまたま運がよかっただけだ。違う選手だったら、それはパワハラだったと認めるかも知れない。「信頼関係が築かれているから、指導なんだ。」なんてことも言ってたけど変な話だ。どこで信頼関係が気づかれてると思うんだろう。そんなグレーな判断基準だと「僕は、信頼関係があったと思ったんです。」みたいなことを言い出す人を作るだけだと思う。「ニュースキャスターは嬉しそうに、乗客に日本人はいませんでした、いませんでした」と同じことだと思うんです。ま、天気の良い午前に考えることでもないな。

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